稔台教室38年の歴史に句読点をうち、新たな一歩を踏み出しました

塾長コラム=谷村志厚                      シリーズ第438回

AIM学習セミナー38年の歴史の中で、その大半を過ごした稔台の教室がついに閉鎖となった。最終授業日の2月28日、25日に公立入試を終えたばかりの中3生のお別れ会に若手講師6名が加わり、これがAIM稔台教室との別れの場となった。集会の終りに、ホワイトボードを外す儀式をふと思い立った。塾長がドライバーでボードの止ねじを外し、男子講師がボードを抱え壁から降ろした。この教室開設以来30余年ぶりに外されたホワイトボード、その真っ白で無表情な「顔」に(ホワイトボードなので当り前だが)、なにか大きな仕事を終えた喜びと寂しさを見たのは、小生のセンチな思いから生まれた妄想であろうか。

翌3月1日から教室引き渡しと移転の下準備が始まった。64セットあったスクールデスクの大半は、複数の塾仲間に貰われ新天地で生まれ変わることになった。4枚のホワイトボードもすべて行き先が決まった。トラックの荷台に積まれ運ばれていく様を見送り、まるで娘を嫁に送り出す昭和の親父の心境であった。

30余年の間累積したテキストやプリントの類は膨大なものであった。廃業であればきれいさっぱり処分すればいいのだろうが、新教室で活用するもの、名残りのものもあるので、まずその仕分けに忙殺された。紙物の処分でおおいに助かったのは、古紙回収業者さんが開設していた「古紙回収ボックス」だった。稔台工業団地内にその設備があるのを知っていたので、何度も足を運んで整理した古紙類を「SDG‘S」「エスディージーズ」と呪文を口ずさみながらボックスに投じた。

引き渡し作業の本番は7日の月曜日、解体業者さんが入っての教室内装の解体と大量の引っ越しゴミの回収処分である。この場面で助かったのは、手伝っていただいた業者さんの担当がAIMの卒業生にして学生講師でもあったM君だったことだ。大学で法律を学び司法試験を目指していた彼が、結婚を機にこの業界に入ったのだと言う。どちらかといえば優男で気のいい彼が勤めるには、なかなか厳しい世界だなと気にはなっていたのだが…。4人の職人さんを束ねてテキパキと立ち働く姿にいたく感動をしたものである。ついでに言えばエアコン等電気関係の撤去作業をしてくれたN君もまた卒業生のひとりである。塾を40年もやっていると、さまざまな子たちの巣立ちに立ち会う。だがその後の進路を確認することは意外と少なく、ましてやその助力の恩恵に浴すことはまれである。その意味では今回の教室閉鎖と移転は、塾を通じて交わされた人と人との出会いの集大成であろうかと思う。